先日、
- 2015/02/24
- 03:48
参加していた、まわりみち’39の公演が終わった。
公演場所だった、OvalTheaterは以前ロクソドンタブラックという劇場名だった。
事務所があった階は、ダイニングバーが入っていた(経営してる?)。
管理が杜撰なのは相変わらずらしい。
物語の筋が明確なお芝居に、久しぶりに出た。
感じたことは、やはり本番での演技は(というか演技一般は)、同じことの繰り返しでは決してない ということだ。
ステージが変われば、観客が変わる、自分・共演者体調テンションが変わる、時間が変わる、天気が変わる、何より
自分たちが劇場にこもっている間も、外の世界は変化して動いている。
その「変化」をそのまま引き受けて、演技しなくてはいけない。
前日したことと違うことをしてもかまわないのだ。ただし、枠から飛び出さなければ。
枠は、演出であったり、台本(セリフ、言葉)であったり、舞台(演技が行われているところ)だったりする。
今回は台本という枠が強かったので、それを非常に感じた。
自分が演技の手掛かりにしている言葉や身体もその時々で変化している。変化しているから土台になるものが
無い、と考えるのではなく、変化するものだからこそ普遍や本質がそこにある と考える。
もちろんそのためには自分の言葉と身体にたくさんの仕掛けをして、そうなるようにもっていかなくてはいけないのだけれど。
結構な発見を自分ではしたのだと思っているのだけれど如何なものだろうか?
公演場所だった、OvalTheaterは以前ロクソドンタブラックという劇場名だった。
事務所があった階は、ダイニングバーが入っていた(経営してる?)。
管理が杜撰なのは相変わらずらしい。
物語の筋が明確なお芝居に、久しぶりに出た。
感じたことは、やはり本番での演技は(というか演技一般は)、同じことの繰り返しでは決してない ということだ。
ステージが変われば、観客が変わる、自分・共演者体調テンションが変わる、時間が変わる、天気が変わる、何より
自分たちが劇場にこもっている間も、外の世界は変化して動いている。
その「変化」をそのまま引き受けて、演技しなくてはいけない。
前日したことと違うことをしてもかまわないのだ。ただし、枠から飛び出さなければ。
枠は、演出であったり、台本(セリフ、言葉)であったり、舞台(演技が行われているところ)だったりする。
今回は台本という枠が強かったので、それを非常に感じた。
自分が演技の手掛かりにしている言葉や身体もその時々で変化している。変化しているから土台になるものが
無い、と考えるのではなく、変化するものだからこそ普遍や本質がそこにある と考える。
もちろんそのためには自分の言葉と身体にたくさんの仕掛けをして、そうなるようにもっていかなくてはいけないのだけれど。
結構な発見を自分ではしたのだと思っているのだけれど如何なものだろうか?
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